展示・イベント
カイロスとクロノスの狭間 或いは存在と痕跡の考察(後期)
- 概要
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作家・主催者 葭村太一、國久真有、嶋野ゴロー、早崎真奈美、大洲大作、大野公士 期間 2025年3月1日(土)~3月23日(日) 時間 9:30~18:00 備考 葭村太一(彫刻)
國久真有(絵画)
嶋野ゴロー(絵画、インスタレーション)
早崎真奈美(紙、インスタレーション)
大洲大作(写真、インスタレーション)
大野公士(インスタレーション、立体作品)
レポート
前期に参加された作家を一部入れ替え、後期の展示となる本展。
1分、1時間、1日…。時計で測れる、日常の時間「クロノス」と、
特別な瞬間や、心に残る時間「カイロス」。
常に時間に追われて、クロノス的な時間で過ごす毎日ですが、カイロス的な気付きを得られる心の余裕をもって過ごされていますか?
意識的に過ごす積み重ねで、もしかすると時間の充実度が違ってくるかもしれません。
この展示で現代アーティストによる多様な作品を通し、日常の忙しさから離れ、何か心に残るものを見つけられる機会となりますように。
■大野公士(インスタレーション・立体作品)
現在は東京とオランダを拠点に活動している。
表現についての重要な概念は、「存在についての考察」と「死生観について」である。世界各地で探求されている「存在」についての考察の研究を継続している。
これらの概念と世界がどのように関係しているのかを分析して、思考実験やサイトスペシフィックな文化や歴史と統合され、作品表現にフィードバックされる。
■嶋野ゴロー(絵画・インスタレーション)
「Drawing Memories」は、2018 年にその原型が作られ、2021 年の同名作品を機にシリーズ化した。
美術館から商店まで、公共空間にある窓を隔て反対側に在る景色や事物を数週間に渡ってトレースし、窓の表面に集積したドローイングによって「場所の記憶」を可視化する。
またそれは、鑑賞者がモデルとして作品の一部になることで、その場所を共有する人々の仮初めのコミュニティーを生み出す。
■早崎真奈美 (紙・インスタレーション)
長い人類史の中で、自然や生態系へ向けてきた人間の眼差しを通して、人間とは何かを考察している。紙のオブジェが2次元と3次元の境目を行
き来する空間の中で「生と死」や「善と悪」などの二元性における境界の曖昧さを表現する。
■葭村太一(彫刻)
1986 年兵庫県生まれ。人間の衝動痕跡をモチーフにして、記憶や時間をテーマにした彫刻作品を制作している。
近年は街中に残された落書きを木彫へと、立体的に再構築するシリーズを中心に展開している。
世界中をGoogle ストリートビューで執拗に移動し、落書きを探し出し、それらに奥行きという情報を加えていく。
場所の持つ記憶をリサーチし、映像や写真などのメディアも組み合わせたパフォーマンスやインスタレーションとしての発表も増えている。
■國久真有(絵画)
近年は、人体を軸にし腕のストロークと遠心力を利用し描く手法を利用したWIT-WIT シリーズという絵画を制作している。
それは、自身の存在がキャンバスの表面から無くなる方法とした、光の表現である。この絵画シリーズは、一つの結果としての四角い平面絵画となる。
19 年「第22回岡本太郎現代芸術賞」特別賞、23年「咲くやこの花賞(美術部
門)」受賞。国内外の展覧会に出展している。
■大洲大作(写真・インスタレーション)
うつす/ 摸す。写真を軸に人の営みを光と影で捉えなおす行為を続けている。
主な作品に《Loop Line》《flow/float》《光のシークエンス》。
主な展示に「めがねと旅する美術展」(青森県立美術館ほか)、「大洲大作 未完の螺旋」(上野 旧· 博物館動物園駅)、「第26 回岡本太郎現代芸術賞展」
(川崎市岡本太郎美術館)さいたまトリエンナーレ、六甲ミーツ・アート など。
大阪市出身、横浜市在住
【防空壕(西)の展示】
80年前の、そのまた80年前。ジュール・ヴェルヌは巨大な砲弾で人類を月へと送る小説を記した。
砲弾の直径は約2m。のちに「月世界旅行」として知られる物語は、アメリカ南北戦争を背景に、その時代の空気を的確にうつすものとなった。
8 0 年後。アメリカは日本への空襲を進めていた。やがて原子爆弾の投下目標が検討され、リストに載る都市への爆撃は禁じられた。
京都、広島、横浜、小倉、新潟、長崎。そして広島ヘ1発目が、長崎へはより強力な爆縮レンズ構造の2発目が投下された。
アメリカ軍は目標の攻撃にあたり、偵察撮影を行ない詳細な地図を作成した。
上空から写真を撮るカメラには高性能のレンズが求められ、硝材の一部に放射性物質、トリウムが使われた。トリウムガラスを用いたレンズは8 0 年代まで、ごく一般のカメラ用としても広く製造・販売されていた。
京都の原爆投下目標は、空から視認の容易な梅小路機関区の丸い転車台とされた。現在は鉄道博物館の中核として残る直径約20mの転車台は、80年前と同じように、今も、その回転を続けている。
■葭村太一さんとのお話
Q:彫刻の中でも金属や石の素材がありますが、木を使った表現方法は何故ですか。
いくつか理由があって1個は、僕が大学生の時は美術を専攻してなかったんです。
美大ではデザインを勉強してて、建築とか内装関係のインテリアとか、そういう総合的なデザインを勉強してて、当時は扱いやすい木材で何か作ったりする事が多かったんです。
それで就職もしたんですよ。
Q:建築の方で就職されたんですか?
はい、建築のデザイン事務所で働いて、その時も身近な素材が木やったりして。
仕事をずっとしてて、30歳過ぎてから美術を始めたんですよ。なんか彫刻を作りたいなっていう気持ちがすごいあって。
昔から扱いやすいと思っていた木で彫った作品を作り始めるんですけど、僕がコンセプトとしてるのが、無くなっていくものとか、ちょっと儚い存在とか。もうすぐ無くなるだろうとか。
そういったものを扱うことが多くて。だから時間がすごい関係してるテーマなので、自分が選んだ木の素材が案外意図せずハマってしまったというか。
なので、今でも作品は木を使って作ってるんです。
Q:デザイン会社から彫刻作家の道へ。おもいきった転職ですよね。
でもね、デザイン会社で働いたのは2年ぐらいなんですよ。
だから24、25歳ぐらいからは別の仕事を始めるんですけど、その仕事ってのは絵画教室でデッサンや色彩の書き方教えたり、子供とワークショップを実はしてて。
自分はデザイナーというか、憧れてたんですけど自分がやる仕事じゃないな。
向いている・向いてないじゃなく、僕じゃなくてもいいやみたいな。でも正直やりたいことが見つからず。
そんな時に知り合いから絵画教室を手伝ってくれへん?て誘いがあって、ちょっとやってみたら実際6年半ぐらいやってて。
生徒は高校生とか、芸大美大に行きたい子が多くて、それぞれ行きたい方向がある中で、僕は今まで美術という物に関わってこなかったですよね。
そこまで興味がなかったんですけど教える立場だし、ちょっと勉強した方がいいと思って。
だから、働きながら美術に興味を持ちだしたのが20代後半なんですよ。
それで30歳過ぎぐらいから、人生1回しかないし、ちょっとやってみようかな。と思って全てを辞めて美術を始めた流れやったんです。
Q:誰か影響を受けた作家さんがいたとか?
特には無かったです。
美術をしたい気持ちがあるけど、何を作りたいのかが分からない状態で、美術館とか見に行ったりするんですけど。
それまで僕は美術館とかギャラリーに全く行かへん性格やって、20歳後半ぐらいで、ちょこちょこ見に行くようになって、現代美術って何だこれは? まぁ今でも思ってるんですけど(笑)
その意味が分からんみたいな所にどんどん惹かれて、彫刻の展覧会を見た時に、彫刻の存在感みたいなんが単純にグッときたというか。
Q:Googleストリートビューで落書き探して、それを作品にされてますよね。
無くなっていくものや、儚い存在がテーマにあると仰ってましたが、落書きの要素に人の意識とか記憶とかを感じるから、落書きに注目されたんですか?
落書きをモチーフに使ったのが2020年ぐらいで、それまで全くそういう作品で作ってなかったんですよ。
大阪のギャラリーで個展する機会があって、会場の下見に行った時に1階が白い壁のホワイトキューブで、2階は昔の長屋のボロい状態がそのまま残ってたんですよ。
本当に床が傾いてるぐらいボロボロの場所やって、その1階と2階を使う理由とか、どう接続させるか、アイデア見つけるのにその場所を結構調べてたんですよ。
そしたら2階のボロボロの柱に、子供がマジックペンで書いたような落書きがあって、これが何かすごい僕の原点がここにあるみたいな。
好きなアニメを見て、それを衝動的に壁に描くという行為は、沢山の人がやってきたと思うし、大人になったらこういう考え、行為はどんどん減っていくでしょ。
作家になると更に減っていくし、子供の時しか出来なかったこの行為は、すごい純粋で美しいものだな。て思って。
で、その行為を僕は作家になってから完全に抜け落ちてたんですよ。1回この感動した行為を、さらに僕が模倣したんです。
そうする事によって昔、僕もアニメを見て描いてた行為を思い出す為の作業みたいな感じで、これを見つけた感動をどう伝えるか。
で、彫刻にして動かせばいいと思いついたんですよ。要は、この木の柱から抜き取ったみたいな感覚。
2階にはこの落書きが残ってて、1階には僕がそれを模倣した彫刻が並んでいる展示をしたんです。
2階のその柱にはスポットライトだけ当てて。
これが最初に落書きを使い始めた1番最初の作品で、でも僕はこれをずっと続けるとは思ってなかったんですよ。はい。
その都度、会場の場所を調べて作ることが多かったんで、ちょっと1回作ってみたら、なんか自分に向いてると思ったことがあって。
毎回誰かの落書きがモチーフになるんで、絶対違う彫刻物が生まれてくるから、同じ事をしてても、新鮮な気持ちになれる。
段々その行為を街に向けてみると、犯罪とされてるけどグラフィティっていうのが街中に描かれてるじゃないですか。
その行為を大人になっても続けている人達が、自分の存在を街に残していくみたいな。
前回の展示は、2階にあったものを1階に移動するだけだったけど、ちょっと次は会場の近くにあったやつを展示会場に移動させてみようと始めたんたです。
そんな事をしてる内に、すぐコロナ真っただ中になっちゃったんですよ。
で、台湾で展示する機会があったけど台湾に行ったこともないし、どんな街かも分からへんし。
この落書きのシリーズをやるって言っても、コロナでモチーフ探しが出来ない時にGoogle Mapを使う事を思いついたんです。
Google Mapで台湾の街を見て、そこで見つけたものを作って。
梱包は木箱を作って、そこに作品入れて輸送させて、会場着いたら木箱から出して木箱の上に置いてもらう。コロナで移動出来ないことを逆手に取ろうと思って。
だから僕は移動せずにスマホだけを見て、ここにある木を刃物で彫って、箱を作って送る。現地で指示書通りに展示してもらえたら、展示が完成する。
梱包箱に付いてるQRコードを読み込めば、現地の元のデータを見れたりとか。
だからQRコードっていうのは、デジタル上での移動が可能とされてて、梱包箱は彫刻を動かす物質的な移動が兼ね備えている、移動する為の作品みたいな。
だから箱も作品の一部なんですよね。
そんなこんなでやってると、海外のいけない場所をGoogleが撮影してくれてるんで、色んな街、自分が行けない場所。
もう僕は、このシリーズはGoogleの画面越しで見たものを作ると決めて、今もやってるんです。
Q:携帯で見つけた、いわゆる平面の落書きを立体にするわけですよね。重要ポイントありますか。想像力ですか?
重要にしてるのは、モチーフになってる落書きの正面から見た部分を忠実に作る。
もうそこ以外の奥行きやサイズ感は僕のさじ加減にしてて。丸太の直径でどんだけ遊ぶかって感じですね。
重要なのは正面だけ。彫ってると、木はちょっと硬い部分があったり、木目が入り組んでたりとか。
そこは自然の木の力に頼ってる部分もあって、彫りながら何か面白い模様が出てこうへんかなとか。
いわゆるエラーみたいなことが起きることを前提に彫り進めたりはしてます。
Q:葭村さんの作品を何かのきっかけで知った方が「これ私の書いた落書き?!」て繋がったら面白いですね。
あ、繋がったことありますよ!!偶然に繋がったんです。でも繋がることって凄いおかしな事なんですよ。
グラフィティアーティストっていうのは街の壁に描いて、あれはルール上、正体を隠してやってるじゃないすか。
だから正体を出しちゃいけないのに、僕が彫刻にしたのを見つけて「それ私が描きました」て手を挙げる時点でおかしなことなんですよ。
いやいや、連絡してきたらアカン話で。
で次に、それに対してすごい喜ぶ人と、すごい怒る人がいるんですよ。
なぜかというと、犯罪行為をした落書きかもしれないけど、著作権が発生するんですよ。
子供が書いた落書きでも意志が入っていれば著作権は発生するんで。だから誰が作ったかが大事で。
著作権が発生して、それを僕が作ることによって立場的には僕は弱いんですよ。
でも許可を取ろうと思っても誰が描いたのか分からないから、だから僕は毎回許可を取らずに作ってる、ちょっとグレーな部分ですよね。
Q:繋がった経緯は、例えばどんな形で?
僕が個展をした時にインスタグラムで作品をアップしたんですよ。
そしたら忠実に作ってるし正面から写真を撮ったから、AIの機能でその描いた本人のインスタグラム上に僕のやつが上がってきたんすよ。
スマホが似たような投稿、興味ありそうな投稿をAI上で探してあげてくるじゃないですか。
それで本人の画面に、僕の彫刻が上がってきて「これは何だ?! 俺がいつも描いてるキャラクターが彫刻になってる!」
で、調べたら日本になってるし意味が分からん。てなって。
それはロサンゼルスで、アメリカから「このアイコンはどういうことですかね。あなたは誰ですか?」みたいなメッセージが来て。
で活動を話したら、「あ、なるほど。面白いね」と言ってくれて。そのキャラクターは、普段仕事をしている5人くらいが街中にいっぱい描いて残していると。
だから「僕たちはそれを凄いと思って、日本人が彫刻作ってくれたのは嬉しかった。
でも別の友達は、こんなことする奴は許さん。みたいに怒っていた奴もいたけど、僕たちはすごい嬉しかった」って言ってくれて。
その半年後ぐらいに、その彼から「日本に遊びに行くから会おうよ」てメッセージあって、僕の大阪のスタジオにも遊びに来てくれて、一緒にご飯食べて仲良くなったんですけどね。これは、良かったパターンですね。
Q:良くないパターンもあったんですか?
国柄もあると思うんですけど、台湾のグラフィティを模倣した時に揉めたことがあって。
長くなるから簡単に話すと、もう解決したんですけど結構1年ぐらい連絡取ったりとらんかったり。
SNSですごい悪い情報を流されて、僕のイメージがめちゃくちゃ台湾で悪くなったりもして。で、僕は去年の12月に直接台湾に行ってその彼に会いに行ったんですよ。
お互い話して「悪い部分もあったと思うけど、僕の気持ちもわかってほしいと。別にそこまで侵害するつもりはない」という話をして。
それで理解してくれて、初めは訴えるみたいな話だったんですけど、今はもう凄い仲良くなって、実は今年の7月に台北で、その事件の話を展覧会にしようとしてて。
彼の作品と、僕の作品によって問題が起こって揉めたけど、今は和解した。ていう展覧会を台湾でね。
だから僕からしたら、この名乗り出て出会ってしまう事は、本当は良くないんです。
なぜなら相手がグラフィティライターだから。けどそこで手を挙げたっていうことは、何かの理由があるんです。絶対。
やっぱり自分っていう存在を世の中に知らせたいっていう、承認欲求の一部がちょっとあって。
怒る人もいれば、喜ぶ人も。そこで僕が出会うってことは凄い面白いことで。
そっから問題提起をして、それを展覧会にするっていうのは、この作風のすごい大事なところだと、僕は思ってて。
だからそういう悪いことは、僕からしたら面白いことが起きる前兆みたいに思ってて(笑)だから7月の台湾の展覧会は、実はめちゃくちゃ面白い事になりそうです(笑)
でもまぁ、そこはこういう作品作るんやったら向き合わなあかん事やな。て思ってます。
Q:面白いエピソードですね。この作品シリーズは続いていきそうですね。
そうですね、その展覧会をきっかけに、更に面白い事に繋がっていくかもしれないし、もう終わるかも(笑)
何が起きるか分からないです。
Q:じゃぁ今後の目標や夢って、どういう風に広がっていくか、ちょっと分からないですね。
でも、こうなりたいとか、どうなっていったらいいとか、ありますか?
そこを今リアルタイムで最近よく考えてて。どうなっていきたいんだろう?て。
でもこの作風を、もうちょっと詰めていきたいとは思ってて。4年か5年ぐらいやってるんですけど、まだそんなに経ってないし。
でもその間に凄い色んなことが起きてるから、もうちょっとやり続けることによって見えてくるものがあるのかな。と思いながら。
でもそればっかりに欲するんじゃなくて、もうちょっと他の新しい作品を作りたいなとは思ってるかな。
Q:今回、町家で展示してく下さった作品は、全て落書きシリーズですか?
立体の方はGoogleMapで探した作品で、壁にあるのはそれとは別の作品です。
街中で歩いて見つけた標識に、落書きとかステッカーが貼られてる。あれも犯罪行為じゃないですか。
そこも落書きと一緒で、自分の存在を表してるみたいなのが蓄積された、1個の標識やけど、存在感のある物体に変化してて。
それを僕が、風景画を書くような感じで彫刻を作ってるかんじ。
だから結構サイズも忠実に再現できるんです。だから細かい作りも出来てて。
Q:展示を見にいらした方は作品を正面から見られますよね。
お客様には見えない部分であっても、作っている葭村さんだからこそ、実はここ凄くこだわったポイントがあったり。ここ見つけられた人凄い!とかありますか。
モチーフが正面しかないので。だから奥行きの部分では、横に伸ばしていくっていう単純な作業してて。正面が出来ることによって勝手に背中があるんですけど。
僕の中では裏側が大事で、作品の裏を見ると木の皮を残してるんですよ。
後ろだけ見ると、木の皮でシルエットだけが型取られている状態。
だから壁の向こう側は、何も表現出来ないというのを、素材の木の皮を残すことで成立できひんかな。と思ってて。
今回の展示方法は全部の作品、ある一定方向を向いてるんですよ。だから後ろにぐるっと回ってもらったら、ただの木にしか見えない。
奥行きの向こうの壁の向こう側の表現が、そこでようやく見えてくるっていう風に今回展示してて。
正面だけで見るんじゃなくて、1周グルって周って背中も見てほしいですね。
■早崎真奈美さんとのお話
タイトル「DANDELION REVERSI」
セイヨウタンポポとニホンタンポポの陣地取りゲーム(オセロと同じルール)ゲームを通して、種を分類する人間、国境とは何かを考える。
タイトル「サイカチ」
サイカチという豆の木で、螺旋上に豆のさやがいっぱい付いてて、幹からトゲがすごく暴力的に付いてたんですよ。
すごい木だと思って調べたら、日本の昔から自生する木で、群馬県の町で天然記念物になっている価値があるって事を知り、トゲは昔の人にとっては、魔除け的な意味合いを持ってたんじゃないか。という推測を元にリサーチを勧めました。
サイカチの主な使い道として、昔は馬を洗うのに豆のさやに含まれているサポニンいう石鹸みたいな成分を使って洗っていたみたいです。
調べてる内に、東京の水道橋の近くにサイカチ坂があったり、代々木公園の代々木の名前も「木を守る村」というので、元々サイカチ畑をなりわいにしてた事が分かったりとか。
わりに最近まで私達の身近な存在だったんです。
タイトル「よわいわたしをまもる棘」
この作品タイトルは、植物が進化を考えた時に、身を守る為にトゲを持つ進化を選んだ。
一方で人間は、道具を使うことと引き換えに、鋭い爪や牙はそぎ落としていく進化を選んでいった。
今のサイカチと私達とを考えると、人間は鋭い牙とかは落としたけれど、目に見えない病気や天災とかが怖くて、こういったトゲをお守りにしたり、実際にトゲではなく武器を持ってしまっている。
という所で、目に見えないものに対する恐怖が、どんどん大きな武器を持つような形になったのではと、制作していた時は世界中のあちこちで戦争のニュースが多い時期でしたので、そういうタイトルになりました。
Q:作家活動をするにあたって、なぜ紙という素材を選ばれたんですか?
元々、切り絵が好きでずっと作ってたんです。
京都の大学時代は日本画を専攻していて、父が書道をやっていたので、ずっと子供の時から書道をやっていたので、今回の作品でも墨を使ったドローイングがあります。
幼い時からの経験の積み重ねが、今の表現方法に繋がっていっているとは思います。
紙が面白いと思ったきっかけはある時、切り絵の状態のものにメディウムを塗って、乾かして吊り下げた時に、紙に重さが加わってペラペラの紙じゃなく、「物」だな。感じたんですよね。
2次元だけど空間に実際に浮かんでいる時、ちゃんとその空間の中に存在する3次元の物だな。という感覚があったんです。
趣味的な遊びで作ったものだったんですが、この感覚が自分の作品の中に使えると思ったのが、作品になっていくキッカケになったと思います。
Q:それは何歳ぐらいに気付かれたんですか?
ロンドンに行った時なので、25、26歳ぐらいかな
京都で日本画を学んでましたが、学科の授業で現代アートに繋がるようなコンセプチュアルアートの歴史について実践的な授業を受けたことが、現代アートに繋がる興味と関心になったんです。
絵を描き続けていく事よりも、今の自分がしたい事。実験そのものがアート活動のプロセスとして、自分自身がもっと面白く感じられるんじゃないかな。いう風に思って、日本画から次どこか学びに行く時には、国内の何処かの学科ではなく、海外に飛び出して、現代アートが元気だったイギリスで現代アートのクラスに入りたいと思って入りました。
ペインティングのクラスにも、立体的、インスタレーションを作っている学生が沢山いたので、私も二次元のものにとらわれない形が出来ると刺激がありましたね。
Q:紙の質感や形状を生かして複雑な細かい作品を作られていく上で、重要視している事は何ですか
四角い枠にとらわれない作り方は意識してるかな。
ちょっと浮いてる絵と言えば浮いてる絵なんだけど、でも絵とも言いきれないみたいな。
彫刻でもない、なんか曖昧さみたいなのをキープしているのが紙の面白さだと思うし、自分もそこを意識しながら作品の内容とも繋げていきたいと思っていますね。
Q:これからもやっぱり紙と向き合っていくか、もっと違うこともやってみたいとか、その辺りどうですか?
そうですね。紙は本当に私の主軸にあると思っています。
ただ作品作りの中で、他の要素を必要とする場合は、どんどん使っていこうと思っているので、最近はたくさんドローイングを一緒に見せることもやってみたり、映像を重ねてインスタレーション空間を作るっていう事とかもやっています。
Q:作品作りは楽しいですか?
苦行、修行です。
修行という言葉を使ったけど、ある意味正しい部分もあって、やっぱり時間がかかる技術だからこそ、思考のために時間を取れるというか。
何も考えずに切っているのではなくて、すごく頭の中でお喋りしてるというか。
先ほど話たトゲの持つ意味。人間に置き換える思考する時間というのを、切る時間がくれてる感じはします。
Q:修行、苦行という言葉がありましたけど、それでも続けてこられたモチベーションは何ですか?
大きい作品は、地べたで這いつくばって切るんですが、出来上がってそれが立ち上がった時の感動が凄いです。
お客様は、その立った状態しか知らないじゃないですか。
私は、全然まだ魅力が発揮されていない床にペタンと置かれた状態から、ぶわぁっ!!て上がっていくあの瞬間が一番好きですね。
自分の事を良くよくやった!!ていう気持ちになります(笑)
そう、だからもうやめられない!その瞬間本当にいいですね。
今、この状態にあるっていうここ(展示場所)に来た時が一番いい!